ブックタイトル20110801-0805デジタル保存版

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20110801-0805デジタル保存版

R E P O R T 2011年08月05日(金曜日)2/5上京者のためのターミナルガイド~新宿西口~新宿駅から、“副都心”とされる高層ビル群まで、西口地下通路が延びている。完成は古く1966年にまでさかのぼる。調べてみると、ここは何度も歴史の表舞台に登場している。1969年には反戦フォークゲリラの砦とされたために安保闘争の舞台となり、70年代前半にはフーテンたちの溜まり場となった。フォークゲリラやフーテンの集会が禁止されるまでは、西口地下広場と呼ばれ、東京でも特別な“アジール”となっていた。フーテンが姿を消してからは、ホームレスたちのダンボールハウスが壁際を埋め尽くしていたが、1998年にそのうちの一軒から出火して死傷者を出し、全面禁止となっている。1999年の石原慎太郎都知事の誕生後には、西口の“浄化”にも拍車がかかったようだ。本稿は、地方在住の上京者が新宿を歩く「ターミナルガイド新宿」の3回目である。新宿駅は、東側に中央口があり、買物客や観光客が利用するのは主にこちら側だ。1回目で採り上げた「歌舞伎町」や2回目の「新宿三丁目」へアクセスするには、この中央口や、「アルタ前」として知られる東口からとなる。華やかな東側とは反対の西口は、いわゆる“駅裏”であった。そのためにこそ、フォークゲリラやフーテン、ホームレスたちを惹き付ける“磁場”となっていたのだろう。▼節電“戒厳令下”の西口地下通路を歩く小田急百貨店のある新宿駅西口を出る。ロータリーとなっている地上に出ることなく、そのまま地下通路が西にまっすぐのびている。東京の人たちは今、熱中症で高齢者が何人も亡くなるほどに、節電に夢中である。西口地下通路も照明が落とされ、防空壕のようである。商店は、枝道を折れてビルの地下階に入らないと無いために、店舗から明かりも地下通路には届かない。東京は戒厳令下にあるようだ。ちょうど退勤の時間だ。都庁など副都心から駅に向かう人の流れに逆行す照明の落とされた西口通路を家路に急ぐ人びとる。空調も節電のために、ほとんど効いていない。薄暗くどんよりとした空気のなかでは、駅に向かう人たちの足取りは、どうしても重く見えてくる。フーテンやホームレスの消えた地下通路は今、がらんどうだ。エスカレーターが止められているために、階段を登る。エレベーターも半分以上が止まっている。動いているエスカレーターがあっても人だまりができていて、待たないと乗れない。そこにアジアからの外国人観光客が大声で話しながらやってきて、横入りを試みる。そして、警備員に制止されている。▼ようやく見つけた西口の60年代西口にも、70年代から1991年の都庁完成まで段階的につづいた再開発の波から取り残された一画が、かろうじて残っていた。『カレイド』近く新宿西口主要店舗の稼動状況の「しょんべん横丁」や、『ジャンボ』の裏手である。ただ、パチンコ店は節電の動きの最右翼にある。『ジャンボ』店舗入口上の堂々とした年季モノのネオンも、すべて消灯されており、まるで閉園してしまった遊園地のアトラクションだ。街に明かりが少ないために、ようやく見つけた下町でも、活気を感じることはできなかった。飲み屋をのぞく。歌舞伎町や三丁目の店と違って、客には団塊の世代以上のオヤジ率が高い。串焼き屋では、ヒゲを生やしたオヤジが文庫本を読んでいる。別のオヤジは、松本零士のような帽子をかぶっている。60年代末の新宿を活写した永島慎二のマンガの世界が舞台のように再現されていた。新宿駅に戻って振り返ると、あれほど偉容を誇っていた都庁が、ビル群に隠れてもう見えない。掲載内容の無断転載、転用禁止。内容は日本の著作権法及び国際条約によって保護を受けています。Copyright(C)2011 Vision Search Inc. All Rights Reserved.